
神奈川県愛川町中津で、幕末から編まれてきた座敷箒。畑で育てたホウキモロコシの穂を、家々で一本ずつ手で編む。戦後いちど途絶えたが、二〇〇三年、種と技が畑へ戻された。名より、土地の一年が残る用の美の道具。
かつて中津村では、どの家の畑にもホウキモロコシが生えていた。
初夏に種を蒔き、夏の盛りに、実の入る前の柔らかな穂を刈る。種を落として日に干し、農作業が落ち着く頃、家々で箒に編む。畑で育てた草が、その家の床を掃く道具になった。
神奈川県愛川町中津に箒作りが広まったのは、幕末から明治の頃。文政五年(一八二二)生まれの柳川常右衛門が、諸国で学んだ製法と栽培を故郷へ持ち帰ったと伝わる。箒は農閑期の仕事となり、大正から昭和初期には、村のほとんどの農家が携わった。畑には材料が育ち、家では人の手が動いた。村そのものが、ひとつの工房だった。
戦後、輸入箒と掃除機の普及によって作り手は減り、昭和四十年代には柳川勇次商店も廃業した。箒が作られなくなると、ホウキモロコシの畑も消えた。失われかけたのは編み方だけではない。種を蒔く時期、穂を刈る時期、冬に手を動かす時間。村の一年に組み込まれていた、生業の循環そのものだった。
二〇〇三年、六代目の柳川直子が再興に動く。残された箒を手がかりに、まず種を探し、畑へ戻した。現在は、育てた穂を一本ずつ選び、山葡萄の皮や桜の葉など、身近な草木で染めた糸も用いて編み上げる。
一本の箒の後ろに、一本の草がある。その草の後ろには、種を蒔いた畑と、季節を知る人の手がある。
中津箒が残しているのは、箒の形だけではない。土地で材料を育て、暮らしの道具へ変えてきた、村の一年である。



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