
一八〇〇年ごろ、筑後・久留米。城下の通外町に、井上伝という少女がいた。天明八年の生まれで、十二歳。当時の数えでは十三になる。
ある日、伝は着古した藍の着物に、白い斑点が浮かんでいるのに気がついた。
長く着た木綿は、洗われ、日に干され、少しずつ色が抜けていく。褪せた藍のところどころに、雪のような白い点が散っていた。誰も理由を知らなかった。
伝は、その着物をほどいた。

布を糸に戻し、一本ずつ調べた。白い点は、汚れでも傷みでもなかった。糸のその部分にだけ、藍が入っていなかった。染めるとき、何かに覆われていた場所だけが白いまま残り、織られて布になり、色が褪せるにつれて表へ浮かび上がってきたのだった。
ならば、先に糸を括ってから染めればいい。
括られたところには藍が入らない。白く残る。その糸で織ると、白い模様が布いっぱいに散った。伝はこれを絣と呼んだ。かすれて見えるから、絣である。

伝のもとには織りを習う人が集まりはじめ、十五の頃には数十人に教えていた。
そのなかに、近所に住む十五歳の少年がいた。からくり人形の仕掛けで町を沸かせていた鼈甲細工師の息子、田中久重。のちに東芝の源流となる会社を興す人物である。久重は糸を板で挟んで染める「板締め」の技法を考え、伝はこれを取り入れて、点の散らばりから一歩進んだ。文字や花の絵柄を、布に織り出せるようになった。
伝は技を隠さなかった。弟子は四十歳の頃には千人にのぼり、生涯では二千人を超えたと伝わる。そのうち四百人が、筑後の各地で機屋をはじめた。ひとりの手仕事が、土地の産業になった。
明治二年、伝は八十一歳で没した。久留米の寺町・徳雲寺に、胸像が立っている。
久留米絣は、いまも筑後の織元で織られている。国の重要無形文化財である。藍の布に白が散るあの模様は、二百年あまり前、色褪せた古着を不思議に思ってほどいた、十二歳の手から始まった。







久留米絣とは?
久留米絣——福岡・筑後平野の手括り木綿絣。阿波藍で染め、投杼で織る。重要無形文化財、日本三大絣のひとつ。 辞書でくわしく読む →