
弘前に伝わる漆器。仕掛けベラで凹凸をつくり色漆を四十数回塗り重ねて研ぎ出す「唐塗」の斑紋。あまりの手間から「津軽の馬鹿塗り」。
漆を、四十数回、塗り重ねる。
津軽塗は、本州の北の果て・弘前で生まれた。江戸中期、四代藩主・津軽信政の治世に、若狭から招かれた塗師・池田源兵衛がその祖と伝わる。宝暦八年(一七五八)の『津軽見聞記』には、すでに「弘前一流の塗物あり、唐塗という」と記され、この地の塗り物が名を得ていたことがわかる。
津軽塗の代名詞が「唐塗(からぬり)」だ。仕掛けベラという道具で塗面に凹凸をつくり、その上へ赤・黒・黄・緑の色漆を塗り重ねていく。四十数回、二か月あまり。塗り終えた表面を大清水砥石で研ぎ出すと、埋もれていた色の層が断ち割られ、雲とも鱗ともつかない斑(まだら)の模様が初めて姿を現す。絵で描いた模様ではない。塗り重ねと研ぎという、途方もない手間だけが生む、偶然の紋様である。あまりに手間をかけるので、地元では親しみと呆れをこめて「津軽の馬鹿塗り」とも呼ばれてきた。
技法は唐塗のほかに、菜種を蒔いて輪の粒を出す七々子(ななこ)塗、もみ殻炭の艶消しが渋い紋紗(もんしゃ)塗、赤と黄に黒漆で唐草を描く錦塗の四つ。素材は天然の漆と、青森特産のヒバ、ホオノキ、カツラ、ケヤキ。作られるのは箸、椀、盆、重箱——雪深い北国の、日々の食卓の器だ。
一九七五年、漆器として本州最北で国の伝統的工芸品に指定され、二〇一七年には国の重要無形文化財ともなった。研ぎ出して初めて現れる斑紋の奥には、四十数回ぶんの、目に見えない時間が層になって沈んでいる。




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池田源兵衛、藩命で江戸へ上り塗師・青海太郎左衛門に入門(津軽塗の祖と伝わる)
『津軽見聞記』に「弘前一流の塗物あり、唐塗という」
産業として広がる
国の伝統的工芸品に指定(漆器で本州最北)
国の重要無形文化財に指定