
筑後川下流の酒どころ。仕込み水は地下200mの伏流水、米は川がつくった平野の米、樽の杉は上流の日田から川を下って届いた。明治31年に85蔵、いま16蔵。
城島の酒は、川がつくった。
福岡・久留米市城島町。筑後川の下流に開けたこの土地に、酒蔵が集まったのには理由がある。仕込みの水は、地下二百メートルから汲み上げる筑後川の伏流水。米は、その川が運んだ土が育てた筑後平野の大粒米。樽をつくる杉は、同じ筑後川の上流——日田の山から、川を下って届いた。そして酒を運び出すのも、また川だった。水・米・木・道。酒づくりに要るものを、一本の川が全部渡したのである。
酒づくりが始まるのは江戸期。延享二年(一七四五)の富安栄重にはじまり、文政・嘉永・文久と蔵が起こっていく。最盛期は明治三十一年、その数八十五蔵。生産量は五万二千石に達し、「東の灘、西の城島」と称された。
いま、久留米市と大川市を合わせて残る蔵は十六。毎年二月、白壁の蔵通りに人が集まり、新酒がふるまわれる(城島酒蔵びらき)。八十五が十六になってなお、川はまだ同じところを流れている。
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